同行三人

後期高齢者のお遍路です

4.第7番へ

 昨夜は夕食後にすぐ寝てしまって、朝は4:30に目が覚めた。よく寝たので昨日の疲れ、膝へのダメージはほぼ回復していた。腰に若干の不安が残るので湿布を貼った。

 8:30に出発、天気が良くて今日も暑い。2.5kmほど歩いて、橋を渡ったところに小柿休憩所があり、その近くにやっと自販機を見つけた。麦茶とスポーツ飲料を買って、まずスポーツ飲料を飲む。汗をかいたときのスポーツ飲料は美味しく感じる。6番の安楽寺へあと1km足らずのところで、地元の女性が声をかけてきた「お遍路さんですか?」

様子から見てお接待ではないらしいと思う。「道が違っていますよ、みんなここで間違うんですよ」と、正しい遍路道を教えていただいたので、すぐに遍路道に戻ることができた。後で調べてみたら、確かに間違いやすいところである

 これはグーグル地図のストリート写真である。私は前方の狭い道をなんの疑問も抱かずに真っすぐ行ってしまったのだが、よく見るとカーブミラーの柱に小さな道標が貼ってあり、ブロック塀にも白い目印看板がある。このすぐ手前に石の道標があって、真っ直ぐを指していたのでそれに惑わされたのである。地図には「クランク注意」とあり、目印看板の図まで載っていたので、これはひとえに私の不注意だった。
 ここから安楽寺までは近い。妻は昨日よりも楽になったというが、私は次第に右足に力が入らなくなってきた。10:30、安楽寺到着。5.3kmに2時間かかった。

 大きなお堂の立派な寺である。天然温泉の大浴場があるという宿坊があるが、歩行距離を考えて次の札所まで歩くことにした。山門横に喫茶店を兼ねた売店があり、ここで一休みすることにした。ソフトクリームとコーヒーを頼んだ。クリームを食べている間、コーヒーを出すのを待っていてくれたのだが、その間温めておくのを忘れたと言って、コーヒーはサービスしてくれるという。浮いたコーヒー代で「ボンタンアメ」を買った。これがこの先、疲れたときの良いおやつになった。

 11:30頃に安楽寺を出発、今日は十楽寺まで、あと1.2kmである。

 途中にある熊野神社、桜が満開を少し過ぎたくらい。大きなイチョウや杉の木もある。

 熊野神社の前に、枝を切られた大木が並んでいて、少し異様な光景である。

 程なく今日の宿でもある第7番札所十楽寺に到着。山門に続いて遍照殿という中門があり、祀られている愛染明王は、良縁を結び、悪縁を切るという両方の願いを兼ね備えるという。上部に昇る入り口が左右2つあって、一方には「縁結び門」もう一方には「縁切り門」とある。コロナと縁を切るには「縁切り門」からというわけである。

 宿坊は「光明会館」と名付けられていて、部屋も広く、ビジネスホテル以上の快適さである。多くの遍路宿は電話予約が必要だが、ここはネットから予約ができる。ずいぶん早い到着だったが、部屋に入ることができた。コインランドリーがあったので洗濯をする。この先も宿には必ず洗濯機・乾燥機があり、予備の衣服はほとんど不要だった。

 夕食はなかなか美味しく、量もあって満足した。

3.第5番まで

 

 十輪寺から第一番の霊山寺までは近い。途中、菜の花と満開の桜がきれいだった。

 10時過ぎに霊山寺到着。まず、総合案内所が目に入る。山門は左の方にある。

初めてのことで要領を得ないが、案内所を無視して境内に入ると、大師堂と本堂があったので、声には出さずに心の内でお経を唱え、ろうそくや線香も省略して納札だけ済ませる。

 案内所に戻って、納経・朱印をいただく。お御影・お姿をいただくというのはここで初めて知った。

 これで一応の形がついた。そもそも無宗教の我々なので、こんな形で続けていこうと思う。観光だけが目的で心のこもっていない参拝ではあるが、大師様は受け入れてくれるだろうと信ずる。

 以前、自転車で地元の33観音を巡ったことがあるが、あるお寺の住職さんに、「どんな理由にせよ、お寺を訪れていただけるのは良いことです」と言われた。

 真面目に信心されている方々に対して引け目を感じるので、どうも言い訳がましくなる。あまり深く考えないでおこう。

 昨夜のホテルが素泊まりだったので、朝から何も食べていない。妻がそろそろ不平を言いだした。霊山寺の周辺に門前町があって、食べるところもあるだろうとの勝手な期待が見事に外れて、周囲にはなにもない。霊山寺手前の洋食「元」は定休日だった。もっと手前にローソンがあったのだが、そこまで戻る気力もない。霊仙寺のすぐ隣に「門前一番街」という店があり、「軽食」とあった。しかし「コロナで食事は出していません」ということで、名物の「あわくった」というまんじゅうのようなものと阿波茶を頂いたが、これで妻を満足させることは到底できない。

 2番札所の極楽寺は近いし、途中にコンビニもあるからと、とにかく歩き出す。途中で舩本といううどん屋さんを見つけた。「うどんじゃなくてご飯が食べたい」という妻に「ご飯物だってあるかもしれない」と説き伏せて行ってみる。というわけで、ここで朝昼兼用の食事タイムになった。妻は唐揚げ定食でご飯にありつく。ついていた温かいうどんは柔らかすぎて好みに合わなかったが、私の食べた「ぶっかけうどん」の冷たいうどんはやたらにコシが強くて美味しかった。載っているのが巨大な海老天かと一瞬思ったが、ちくわの天ぷらだった。他におでんも食べて、まあ、満足。

 再び歩きだして、コンビニには寄らずに極楽寺に12時半頃到着。

 弘法大師お手植えと言われる杉の巨木が目を引く。

 ここから第3番札所の金泉寺へはそれほど遠くはないが、その先の大日寺まではかなりの道のりになるので、金泉寺付近で宿を見つけたかったのだが、一軒あった旅館がどうやら廃業してしまったらしい。仕方がないのでこの日は5番地蔵寺前の「森本屋」を予約してあった。

 金泉寺への途中で妻の腰が痛くなり始めて、もう歩けないと言い出した。それでもなんとか頑張って14:00少し前に金泉寺にたどり着いたが、私もひどく疲れてきたので、ここでタクシーを呼ぶことにした。そんな人が結構いるのだろうか、境内にはタクシー会社の広告がある。ここまで、まだ8kmほどしか歩いていない。こんな調子でこの先は大丈夫なのか?

 金泉寺の美しい庭園。

 大日寺、14:30到着。妻をタクシーに残して私だけが参拝。これでご利益は私だけに💁🏻‍♂️💁🏻‍♂️💁🏻‍♂️💁🏻‍♂️💁🏻‍♂️!

 14:50、第5番地蔵寺奥之院・五百羅漢到着。

 五百羅漢のすぐ下に地蔵寺

 大きな銀杏の木。

 門前の桜がきれいだった。

 すぐ門前に、今日の宿森本屋さん。宿に入ると、女将さんが我々の登山用杖を受け取って洗う。大師の杖ではありませんけど・・・いえ、形だけでも。といったやり取りがあって、部屋に入るとこの杖が床の間に立てかけてあった。登山用の杖がこのような待遇を受けたのはここだけだった。他の宿では「大師様の杖ではありませんね、そのあたりに立てておいてください」といった調子で、玄関のどこかに立てて置くことになった。すぐ風呂に入れたのはありがたかった。夕食はカツオのたたきが美味しかった。疲れていたので、夕食後すぐに寝てしまった。

1.一番前札所

 「遍路道保存協会」編の地図はほとんどのお遍路さんが持っているという。この地図には少し使いにくい面もあって、別の地図も発行されている。私も「みんなで作った遍路地図」を購入したわけだが、保存協会の地図は第1番霊山寺の前に2つの寺が載っている。それが東林院(種まき大師)と十輪寺(談義所)である。我々はまずここから歩くことにした。

 2022年4月4日、新幹線で西明石JR神戸線で舞子へ。舞子からは徳島駅前までの高速バスが出ている。あらかじめネットで切符を買っておいたが、決められた時間よりも早いバスに乗ることができた。予約制ではあるが、席が空いていれば乗ることができるようだ。本数も十分に多いので、予約する必要はなかったかもしれない。ただし、予約した時と同じ系列の会社のバスでないと、料金を払わねばならないから注意が必要である。

 この日は徳島駅前のダイワロイネットホテルに宿泊。素泊まりで4,770円、割りに快適なビジネスホテルである。

 

 4月4日、徳島発7:30発の列車で阿波大谷駅へ。ここからまず一歩を踏み出す。今回は荷物を軽くするためにデジカメを持ってこなかった。代わりにスマホで写真を撮るのだが、慣れていないのでどうもやりにくい。画面に手が触れてモードが変わっていることもある。そのため、普段の旅行に比べて撮った写真がずいぶん少ない。自分の指が映り込むなどの失敗もある。

 よく「同行二人」ということを聞く。遍路者は常に弘法大師と共にあるという意味である。我々はすでに夫婦二人で歩いている。これに大師が加われば三人なので「同行三人」とした次第であるが、弘法大師の化身と言われるのが金剛杖である。我々は登山用のスティックを使っているので大師様は一緒ではないのかもしれない。そもそも我々は無宗教なので1,400年も前に生きていた人が一緒にいなくてもかまわないとおもう。

 じゃあなぜ遍路に出ているのかと言われるかもしれないが、ただ歩く旅をしたいからである。今回の旅は、遍路という古くからの文化に触れる旅でもあるので、形が残る納経帳は用意したが、その他は自分の役に立ちそうなものだけにした。まあ、あまり深くは追求しないでおこう。

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 阿波大谷駅から15分ほどで東林院に着いた。

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 この大きな壺とお椀はこの地に200年以上の歴史を持つ大谷焼きである。

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 境内にあった石碑「ピカドンと光りて 忽ち地獄絵図 ヒロシマナガサキ 我ら忘れじ」  木田まもる

 

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 近くの神社の参道の桜がきれいだった。

 

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 のんびり歩いて、十輪寺に9:40に到着。2.5kmを約1時間かかったことになる。桜吹雪が道路に舞っていた。ここまでの途中、左折の目安になるはずだったコンビニがなくなって、運送会社に変っていた。地図というのは出来上がった瞬間から古くなるのだ。ここから第一番の霊山寺は近い。



 

0.準備

 以前から四国遍路に挑戦したいと思ってきたが、コロナの蔓延防止が解除されたのを機会にいよいよ実行に移すことにした。後の予定もあるので、一週間の予定である。実のところ、私も妻も膝と腰椎に問題を抱えていて、長距離の歩きには不安もあるが、とにかく歩き出してみないとわからない。

 できるだけ万全の準備をしておくに越したことはない。ネットにはさまざまな情報があふれている。とりあえず必要なものとしてあらかじめ準備したのは、

 ・地図:『みんなでつくった遍路地図(上巻)』をネットで購入、その他、ネットでダウンロードしたPDF版の地図をスマートフォンに入れておいた。中には「公共交通機関で巡る遍路」というのもあった。雨の時などに役立つと思う。

 ・納経帳:小型の、各札所の絵入りで、ページの間に裏移り防止用の紙が入っているものを、やはりネットで購入。

 ・納め札:ネットで様式をダウンロードして、「四月吉日」「〇〇市 名前(二人分)」を入れて、自分で印刷して作成。

 ・金剛杖:登山用のスティック2本で代用。

 ・経本:スマホのアプリをダウンロード。札所ごとに経文が書かれているもの。

 ・さんや袋:ダイソーで手頃な小型のショルダーバックを見つけた。これに防水スプレーをかけておく。

 ・以上であるが、他に必要なものがあれば現地で調達することにした。

 履き物は特に重要であるという。数日間歩くうちに靴ズレなどで痛い思いをする人が多いという。私の足は短くて幅が広いので、既成靴では合うものがまず見つからない。履き慣れたトレッキングシューズは少々重いし、舗装道路を歩くには適していない。ということで、専門の靴屋さんで新調して、インソールを作ってもらった。少々高くついたが、結果的には正解だった。

 荷物はできるだけ軽くしたい。小型のリュックに必要と思われるものを詰め込んだ。

 替えの衣類一式:当然必要だと思ったのだが、実際にはほとんど不要だった。どの遍路宿でも洗濯機と乾燥機が使えたからである。

 常備薬・靴連れ対策(不要だった)・スマホの充電器・電動歯ブラシ・その他

 ポンチョ:雨の時に絶対に必要なものだが、少し重かった。もっと軽いビニール製のものでも良かったかもしれない。

 それやこれやで総重量3.7kg程度だったが、意外に重く感じたのは体力が落ちているためらしい。他に、ショルダーバッグに地図・納経帳・スマホ・財布を入れたので、これが1.2kgほどになった。

 遍路宿はカード不可のところが多く、ある程度の現金が必要である。郵貯のカードを持っていけば良かったと後で気がついた。

 しばらくは天気も良さそうなので、宿の予約を先の方までしておいた。困ったのは、閉鎖してしまった宿が意外に多いこと。さらにそれが再開されたという情報もある。ネットの情報には古いものと新しいものが混在しているので、判断が難しい。実際に電話してみて、「この番号は使われていません」とか「今は営業しておりません」というのが複数あった。