同行三人

後期高齢者のお遍路です

地蔵橋駅から立江寺

朝の地蔵橋駅前。通学の高校生や見守る地域の方々の目が優しい。

 3日目。まずJRで地蔵橋駅へ。すこし歩くと大きな通りに出る。その角にコンビニがあり、朝食のために入ったが、イートインのコーナーがない。旅行クーポンも使えなかったが、おにぎりやサンドイッチを買った。

 1kmほど歩いたところで、地図を読み間違えて道を間違えてしまった。気づいたところで、ちょっとした日陰を見つけたので座り込んで朝食にする。

 下の道に戻って、川のない橋を渡る。歩道部分が青く塗られていて、これが地図にある「青い橋」らしい。広い大通りに出て、大きな川を渡り、そのまま大通り沿いの歩道を歩く。こういう道は疲れる。かなり疲れたところでコンビニがあったのでコーヒーを買ってそのイートインコーナーに座り込む。コンビニのイートインコーナーはこの旅で2、3度使わせていただいたが、涼しくて小休止にはもってこいの場所である。

 ここからすぐに左に折れるのが遍路道で、すこし歩くと「弘法大師 御杖の水」がある。地図には卍マークが記してあるが、寺はない。「水」も湧き出しているわけでも流れているわけでもなさそうで、小さな水槽の水は柄杓が置いてはあったが、飲めるようなものではなかった。gあ

 

 弘法大師 御杖の水

 
 ここからすこし歩いて、二家美大通りに出るが、これを渡ると狭い遍路道に出る。「義経ドリームロード」とあり、この辺りには義経に関する史跡が多い。舗装道路で集落を抜けていくと大きな岩壁が現れ、「千羽ヶ嶽のお豊とお君の墓」とある。ネットで調べたが「この墓の謂れは不明」とあった。

千羽ヶ嶽のお豊とお君の墓 この右側に石のお墓がある


 このすぐ左には「源義経上陸の地」という碑がある。

 

源義経上陸の地

 川を遡ってきた義経一向がこの辺りで上陸したということらしい。

 

 すぐに18番恩山寺の参道入り口に到着。車道をすこし登って民宿「ちば」の前から山道に入る。通りがかりの人に尋ねると「その道で仁王門の前に出る。道がすこし柔らかいのとマムシに注意してください」という。

 水が出てジクジクした草道をいく。幸いマムシには出会わずに仁王門に着いた。

 

恩山寺 仁王門、仁王さんはいなくて入り口側に大きなワラジが下げてあった。

 車道には出ずに、そのまま山道を登る。

仁王門からの遍路道

 やっと恩山寺に到着、11時半くらい。ここまで4時間かかった。ここで大休止。バスで回っている団体のガイドさんの声が耳に入る。ここは弘法大師の母親にまつわる寺で、四国では珍しい釈迦の十大弟子の像がある。

恩山寺の大銀杏と十大弟子のお堂

釈迦の十大弟子

 十分に休憩をとって、次の20番立江寺まではあと4kmである。車道をすこし降って、牛舎の横から山道に入る。竹藪の中で、足元にもタケノコがたくさん顔を出している。この辺りは弦巻坂といわれる。しばらく歩くと弦張坂もある。義経が坂の上に敵がいることを警戒して弓を張らせて進み、敵がいなかったので弓を巻いたという。

 

弦張坂

  弘法大師おむつき堂は、台紙がおむつを収めたところだという。

弘法大師おむつき堂

 道は間も無く車道になり、立江川の見えるところまで緩い下り坂が続く。こういう道川足の膝に最も良くない。やっと立江寺に着いたのは午後2時を回っていた。この4kmに2時間もかけてしまった。

立江寺弘法大師像と多宝塔

庭に咲くボタンの花

 このお寺は、庭に咲くボタンの花が見事だった。
 今日はここまでタクシーを使わずになんとか歩いてきたことに満足して、JR立江駅へ。徳島に戻って、再びセルフうどんの店で遅い昼食兼夕食にした。
 予定ではもう1日、立江寺から鶴林寺に向かう道を数キロ歩いてバスで戻るつもりだった。そうしておけば、次回の初日が楽になる、という思いだった。しかし1ちょっとした知らせが入り、呑気に歩いてはいられなくなってしまったので、急きょ帰ることになった。次は、この秋に再開したいと思う。年ごとに足腰が弱ってきているのでどうなるかはわからないのだが、生きているうちに88番まで行きたいと思っている。

地蔵院から地蔵橋駅

地蔵ごえの快適な山道

 朝は昨夜コンビニで買っておいたおにぎりやサンドイッチをホテルの部屋でとり、7:40発のバスで地蔵院回転場まで行く。少し歩いて地蔵院を通り過ぎるとすぐに山道に入る。緩くて快適な山道が続く。最後に少し急な登りを頑張ると車道に出る。狭くて車の多い道を少し歩くとまた山道に入る。今度はかなり急な下りである。枯れ葉が溜まっていて滑りそうで怖い。再び車道に出ると、もう山道はなくて舗装道路を下っていく。

 すこし行くと「ギャラリー花杏豆」という店があった。コーヒーを飲んでいこうかと思ったが定休日だった。さらに下って八万温泉を横目で見ながら小さな集落に入る。暑くて疲れてきた。

 「ねこやまねこ」という看板が見えた。何だろう? と思ったら「台湾カステラの店」とある。カステラには目のない妻がさっそく入り口の戸を開けると「営業は11時から」だと言われた。まだ1時間近くあるが、500円の焼きたてカステラを1個売っていただき、店の前の椅子でいただいた。

 

 

 元気になって再び歩き出す。園瀬川沿いに歩いて大きな橋の袂を通過、堤防下の道を歩く。このまま歩いて行って晒屋の潜水橋に出られるのか少し心配になったところに、可愛い犬を連れた綺麗なお嬢さんがやってきたので道を尋ねてみた。すると、スマホを操りながらわかりやすく丁寧に教えてくれた。その様子をすぐ近くで洗車をしていた男性が見ていたが、我々が歩き出すとすぐに2本の缶ジュースを差し出してくれた。今回の遍路で最初で最後の「お接待」である。こういうことがあると素直に嬉しい。少し言葉を交わして、また歩き出す。まもなく堤防道路を横切って潜水橋を渡る。前後の草むらには「マムシに注意」という写真付きの看板がいくつも立っている。

 

真新しい感じの晒屋潜水橋

 橋を渡ると広い工事中の道路に出た。これを歩道橋で渡り、テキトーに歩くと車の多いバス通りに出る。右折して少し歩いてY字路を左に取る。踏切を越えて1kmほども歩くと地蔵橋駅が近いのだが、暑さと右足の疲れでヘトヘトになってきた。やっと地蔵橋駅についた時にはもう12時を回っていた。今日はここで打ち切り。列車で徳島に戻る。

 

JR牟岐線地蔵橋駅

 徳島駅前で「セルフうどん」の店へ。要領がわからなくて少し戸惑ったが、腰のある美味しいうどんといくつかの天ぷらで少し遅い昼食。実は「全国旅行支援」のクーポンが、2人×4泊×2,000円で合計16,000円あり、コンビニでの買い物や食事のほとんどを賄うことができた。部屋に戻って一休みして、夕方にビールを飲みに出る。近くの別のホテルのレストランに行ってみたが、一つは「旅行クーポンは使えません」もう一つは「予約で満席です」と断られ、近くの「ドン・ガバチョ」というレストランへ。肉料理を中心に美味しそうなメニューが並んでいたが、地元食材を使った「阿波プレート」なる一皿とビールを注文。料理はなかなか美味しかった。生ビール(中)は少し小さかった気がするが、飲めない私には十分である。

17番井戸寺から地蔵院へ

井戸寺へ600m

 前回の遍路から1年以上が過ぎてしまった。実は去年の秋に一度計画したのだが、妻の足の調子が悪くて断念したのだった。

 今回は1日の行程を短くして無理なく歩こうと決めた。荷物をできる限り軽くするために、徳島駅前のホテルに4泊して、交通機関を利用する。

 5月8日、新幹線と高速バスを利用して徳島駅前へ、ホテルにチェックインしてから夕食は近くの韓国料理店で。

 

 5月9日、徳島駅前の VIE DE FRANCE という喫茶店でパンとコーヒーの朝食。「列車は何時に出るの?」「7:20、次が8:11」「まだ2分あるじゃない、間に合うよ」「間に合わないよ」・・・慌ててお金を払って飛び出す。自販機で切符を買って、入場するといきなり2番線。あれ? 1番線はどこ? あっちだ、それ急げ、あ〜! 列車が出ていく! 「あなたがのんびりしているから!」と怒る妻。50分待って、8:11発の徳島線前回最後の観音寺に近い「府中(こう)」駅へ。ここから井戸寺に向かう。1.3kmくらいだろうか、17番井戸寺に無事到着。

 

井戸寺 仁王門

 仁王門から入ると、境内には弘法大師が一夜で掘ったという「面影の井戸」がある。

 

面影の井戸のある日限大師堂

 

面影の井戸

 井戸を覗き込んだら、はるか下の水面に私の影が映った。これで無病息災が叶うという。境内にはスズメ大師という比較的新しい像があり、そのためかスズメが多い。

 井戸寺を出て東に向かう。しばらく行くと交差点にこのあたりの案内板が立っていて、その周囲にいい香りの花が植えられていた。

 

井戸寺周辺の案内図と花

 どんどん歩いていくと大きな橋を渡る。中鮎喰橋である。渡ってすぐ右に曲がる。川沿いの道を歩く。車の多い道だが、歩道が整備されている。しばらく歩いて鉄道を渡り、上鮎喰橋のたもとで広い道を渡る。ここで左折するべきところだったが、歩道があるのでまっすぐに行ってしまった。すぐに左に降りる道があったので降りていく。自転車を自転車を引いたお婆さんに道を尋ねたら、親切に教えてくれて、遍路道に戻ることができた。ここからは「地蔵越え」遍路道である。18番恩山寺まではまだまだ遠い。別のおばさんが「恩山寺までまだ8時間だよ」と声をかけてくれた。

 もちろん、今日は恩山寺まで行くのは無理なので、地蔵院回転場というバス停で今日は打ち切りとする。バスの時間まで1時間以上もあったので地蔵院池まで足を伸ばす。といっても数十メートルだが。

 

地蔵院池、向こうに地蔵院が見える。

 この湖畔にベンチと机があって、その周りにダンベルやメガネが置いてあった。さらに机の下には大きな双眼鏡がぶら下げてあった。すぐ横に車が止まっていて、運転手が餌を投げていて、スズメがたくさん集まっていた。地元の人たちに愛されている場所なんだろうな。机の下に手頃な竹竿が転がっていて、妻が一眼で気に入ったのでいただいていくことにして、汚れを水で洗った。

 

ベンチのすぐ横にあった木彫の像

 バスで徳島駅前まで戻って、今日のお遍路は終わりである。今日の夕食は麺王という店で「徳島ラーメン」を食べてみた。コッテリと濃厚なラーメンだった。

16番観音寺まで

13番大日寺の向かいにある一宮神社の立派な石灯籠。近くには一宮城址の散策路もある。

 すだち庵というのは、何代にも渡って遍路宿として機能してきたが、先代の主人が亡くなって一時閉鎖されていたのを、今の主人がクラウドファンディングで資金を調達して改装・再開させたという。現在も拡張計画があるが、しっかりした公的な保証があっても銀行が貸し付けてくれないという。

 すだち庵から13番の大日寺へは山越えのルートで16kmほどある。そして、翌日の宿には大日寺の近くの名西旅館花というところを予約してある。最初は全部歩くつもりだったが、これまでの私と妻の様子では無理かもしれない、玉ケ峠を超えて車道に出たら適当なところでタクシーを呼ぼうと考えた。

 ところが、すだち庵の主人が「ついでがあるから車で送ろう」といってくれた。他にもう一人送っていくという。喜んで申し出を受けることにした。

 さて翌朝、我々夫婦と、もう一人は昨日すごいスピードで我々を追い越していったAさんの3人が、主人の車で名西旅館花まで送っていただいた。我々は、旅館に荷物を預けて、この先を歩くことにした。適当なところで電話すれば、今度は名西旅館の主人が迎えに来てくれるという。

 Aさんはさっさと出発していったが、すぐに戻ってきた。何と13番大日寺にお参りするのを忘れていたという。大日寺は、宿のすぐ隣である。我々もまずそちらに行く。

 納経所の前に「お接待」のみかんがあったので、ありがたく頂いてきた。

 合掌している大きな手のひらの中に美しい観音様。4番札所も大日寺だった。他に28番も大日寺である。9:30頃、大日寺を出発。

 14番常楽寺までは約1時間かかった。疲れが溜まってゆっくりとしか歩けなかった。

 境内には自然の岩が露出している。ここで、大日寺で頂いてきたみかんを食べた。これがとても美味しかった。

 15番国分寺は近い。11:20到着。ここから16番観音寺もそんなに遠くはない。

 疲れに加えて、暑さがだんだん堪えてきた。途中で見事なレンゲ畑を見た。昔はどこにでも見られた光景だが、最近はなかなか見られない。

 いい加減バテ気味に16番観音寺に着いたのは12:30。今回はここで打ち切りにして、名西旅館で聞いてきた地元で評判のラーメン屋十三八へ。

 ええ〜! 並んでるう! 暑い中、順番が来るまで並んで待った。きっと美味しいに違いない! 鳥坂(とっさか)ラーメン(肉中)を注文したつもりだったが、(肉小)が来てしまったので、餃子とキムチチャーハンの小も注文。ラーメンに入れるにんにくも頼む。チャーシューたっぷりのラーメンは美味しかった。行列ができるだけのことはある。食べ終わって名西旅館に電話、すぐに迎えに来てくれた。

 名西旅館に「花」とついているのは、近くにもともと名西旅館があって、これは廃業してしまったが、別館「花」が営業を続けているということらしい。初老のご主人は、コロナでお遍路さんが減って経営は大変だと思うが、送り迎えも含めてほとんど一人で切り回している。あと10年は頑張るといっていた。

 夕食は天ぷらやホタテ入りの陶板鍋など、わりに美味しくて量も十分だった。夜飲みたいから近くに自販機はないかと聞いたら、以前はおいていたが、電気代が高いから撤去したという。代わりに冷たい水をポットに入れてくれた。夜のうちに全部飲んでしまった。

 翌日は近くのバス停から徳島駅に出て、高速バスで新神戸、新幹線で帰宅。次は、できればこの秋にでも続きを歩きに来たいと思う。

 バス停で、若い女性に会った。話してみると、焼山寺道で追い越していった一組男女の一人である。荷物が重くて難儀していたのを岡山の男性に助けてもらったと。焼山寺からはタクシーで神山町の宿まで、昨日はバスで来て名西旅館に泊まった。もう交通機関を使ってしまったから、これからは「歩き」にはこだわらず、徳島でレンタカーを借りるつもりだという。我々も、利用できるところは、これからもバスやタクシーを使おうと思う。

 以上、ダラダラと取り留めなく書いてきたが、「同行三人」第一シリーズの終わりとする。次は、できれば秋に、遅くとも来年の三月に。

7.12番焼山寺

 4月9日、歩き始めてはや5日目である。旅館吉野を6:50頃出発。次の宿は焼山寺から4kmほど下った「すだち庵」である。実は焼山寺の宿坊に電話したのだが宿坊は閉鎖されていた。焼山寺まで行くのが精一杯だろうと考えていたので、さらに4kmの下りは今から気が重い。すだち庵のご主人が荷物の配送サービスをしてくれるというので、大半の荷物を吉野に預けることができた。私のリュックには弁当と昨日お接待で頂いたお茶が2本、地図・スマホ・納経帳などが入っている。妻は軽い小さなリュックを貸していただいて、自分の必要品を入れている。荷が軽くて随分助かった。

 7:00頃藤井寺を通過、いきなり急な登りになる。ミニ四国88箇所を見ながらゆっくりと登る。

 登っていると「頑張ってください」などいろんな小看板がある。まだ歩きはじめで「頑張る」ほどではない、などと思っていたら「遍路ころがし1/6」の看板があって、登りがさらに急になった。

 遍路ころがしが終わってもさらに登りが続き、何度も休みながら登る。何人かに追い越された。ず〜〜っと登りが永遠に続く。やっと少し楽になったかと思ったら、9:20にやっと長戸庵到着、ここでまだ4分の1である。先が思いやられる。このあたりで一組の男女に追い越された。初老の男性と若い女性である。様子から男性はガイドさんなのかなと思った。この2人についてはまた後で出会うことになる。

 長門庵から比較的ゆったりした道が続き、さらに少し登ると「風景発心の地」があり、吉野川方面の眺望が良い。昨日渡ってきた潜水橋「川島橋」がよく見えた。

 ここからはしばらくゆったりした道が続き、馬の背を通り過ぎると、いきなり「遍路ころがし2/6」が現れた。これを登りきると、あとはなだらかな道が続くが、「中間点」の柳水庵にはなかなか着かない。途中、若い女性に追い越される。なんだかすごいスピードで歩いている。この人とも後に出会うことになるので、仮にAさんとしておこう。

 最後に急な下りを降りる、これが「遍路ころがし3/6」である。降りたところに柳水庵があった。11:00頃到着である。ここにはおいしい水ときれいなトイレがあった。

 長戸庵も柳水庵も番外霊場である。長戸庵には納経ができないが、柳水庵には納経できる。しかし、「納経は焼山寺で受け付けます」の張り紙がされていた。お遍路さんが多いときには人がいるのだろうか? ここまででへたばってしまった人のためにタクシー会社の看板があったが、我々はもう少し頑張ることにした。

 柳水庵から少し下ると満開の桜に囲まれた立派な休憩所があった。ここも「一晩だけ」という条件で宿泊可とある。さっき追い越されたAさんも休んでいた。ベンチに座って昼食にする。吉野で用意してくれたおにぎりは塩味が絶妙で美味しい。昨日藤井寺近くの休憩所でいただいたバナナも食べた。ここまで舗装された道が来ていて、車が通過していった。少しだけ舗装道路を歩いて、荒れた未舗装の林道に入る。かなり急な上りである。これをかなり歩いたところで山道に入る。またまた急登になって、「遍路ころがし4/6」である。

 これを必死になって登ると石の立派な階段が現れて、

 浄蓮庵に到着。12:50。ここが今日の最高地点である。あとは下るばかり・・・ではなかった。少し歩いたら2人の男性が休憩していた。我々を追い越していった人と、逆方向から来た人のようだった。彼らによると「ここから300m下って、また同じだけ登り返すと焼山寺に着く」という。「だいたい同じ標高だから」と。これで妻は最後まで歩くのを諦めたという。

 ここからの急な、長い下りが「遍路ころがし5/6」である。下りが苦手な私はここですっかり消耗してしまったが、あと2km、最後のへんろころがしを頑張るつもりでいた。しかし妻はもう歩けないという。左右内の集落に出たら、目の前にタクシー会社の看板があった。その電話番号をメモして、もう少しだけ頑張って降りると、車道に出て、歩道の入り口まで行った。そこにもタクシー会社の看板がある。地元のおじさんが「あと1時間だよ」と声をかけてくれたが、妻はこれからまた登るのは絶対に出来ないという。仕方なくここでタクシーを呼ぶことにした。

 タクシーは焼山寺の登り口まで入ってくれた。境内は立派な杉が見事である。ここで柳水庵の納経をして、御札も頂いた。

 周辺には桜が満開だった。下にタクシーが待っていてくれている。

 さらにタクシーで今日の宿「すだち庵」へ。車で運んでいただいた荷物を受け取り、部屋で整理。洗濯機・乾燥機があるので使おうとしたら、アルバイトの元気なお姉さんが「カゴに入れておいてくれたらやっておきます」というので、おまかせしておく。「温泉に行きますか?」というので、喜んでお願いする。タオルなども用意してくれて、かなりの距離がある神山町の温泉まで車で送迎してくれた。荷物の搬送といい、温泉までの送迎といい、歩き遍路にはうれしいサービスである。温泉の帰りにコンビニに寄って買い物もできた。

 宿の周りも桜が満開。神山町への途中の桜はもう散り始めていた。もう少し前まで、花見客も多かったらしい。

 食事は「夕食はカレー、朝はパン」と事前に聞いていたが、その通りだった。カレーはお代りのできる様子がなかったが、翌朝の朝食も含めて、若い人にはとても足りないのではないかと思う。部屋にはポットもなく、お茶も飲めない。日中汗をたっぷり書いているので喉が渇く。昨日のお接待で頂いたペットボトルのお茶に助けられた。

 同宿の男性の話を聞いた。岡山から来た65歳の方である。一人の女性と2晩同宿になり、焼山寺へも一緒に歩いてきた。その女性の荷物が重くてへばってしまったので、登りだけ持ってやったという。昨日長戸庵あたりで我々を追い越していったあの2人である。

 旅館吉野から留守電が入っていた。こっちからかけると、部屋に充電器の忘れ物があった、男性数人のグループだという。われわれではありません!

 長い一日が終わった。焼山寺道にはまたいつか再挑戦したいと思う。

 最後の写真は、焼山寺道にたくさんある石像の一つである。古いものや比較的新しいものがあり、右側に「山まで(?)56丁」などとある。どうやら、いわゆる丁石といわれるものらしい。1丁は約109mのはずだが、この数字はあまり当てにならない。そもそも数字の並び方もかなり混乱していて、例えば87の次に89が現れたりする。それにしても、歩いていて思ったのは、焼山寺まであと何kmといった表示がほしかった。数字が確実に減っていくのが励みになるからである。

6.11番藤井寺

 4月8日、もう4日目である。昨夜は下痢気味でトイレに2回。少し疲れが溜まってきた感じである。

 8:00出発。特に問題なく吉野川に着く。最初の潜水橋・大野島橋を渡る。電動シニアカーでトコトコ渡っていくおじさんがいた。対岸で車が待っている。途中に待避所があるので、車が来ると避難する。橋を渡ると吉野川の中洲・善入寺島である。中洲とは思えない広い田園風景の中を歩く。

 しばらくして、2つ目の潜水橋・川中島を渡る。意外に車が多く、そのたびに待避所に駆け込む。橋を渡って、堤防を登ったところに遍路小屋があった。水道もあって、一夜だけなら泊まれるとある。この先もこういう小屋はいくつかあり、若い時なら寝袋を担いで旅をしたかもしれない。

 ここからがまだ長い。今朝も朝食抜きだったので、道を少し外れて、吉野川市街に向かい、コンビニを探すかどうか少し迷ったが、google地図で見つけた喫茶店『ゆるび』をアテにして本来の遍路道を歩くことにした。暑さもあっていい加減バテてきたところでやっと喫茶「ゆるび」に到着。看板に「軽食」の文字を見たときは嬉しかった。

 「軽食」はモーニングだけだというので、それを注文。コーヒー+トースト・野菜サラダ・ヨーグルト。けっこう美味しかった。一人で切り回している私と同年のマスターは、随分話好きである。数年前に奥さんを亡くしたが、高校野球で活躍する孫が自慢の種である。スイッチヒッターの孫はプロからも注目される逸材らしい。

 今日の宿・旅館吉野に先に行って、空身で藤井寺へと考えていたが、予定変更、まず11番藤井寺へ行くことにした。

 もうすぐ藤井寺への登りに差し掛かろうというところで、妻が路傍の花の写真を撮り始めた。すると、女の人がペットボトルを2本持って急ぎ足でやってくるのが見えた。おお、初めてのお接待か? と思ったら、妻が道の真ん中で転んでいる。慌てて駆け寄って助け起こすと、女性が心配そうに声をかけながら冷えたお茶のペットボトルを差し出してくれた。「我が家の花を撮っていただいたので」「まだ先が長いですから」と。ありがたく頂いた。宿の周辺にコンビニも自販機もなく、このお茶に翌日の遍路ころがし登りで大いに助けられた。

 まもなく11番藤井寺に到着。

 明日予定している焼山寺道の入り口がある。

 藤井寺から降りてきたところで、大きな声で呼び止められた。「こっちに来てお茶を飲んでいけ」工事小屋のようなプレハブの建物に入っていくと、きれいな接待小屋である。遍路道の管理などをしている人のようで、この先の道程についてお茶を飲みながら色んな話を聞いた。「とある歩き遍路のホームページ」を見たと言ったら随分喜んでいた。「アメを持っていけ」「ついでにこれも」とバナナを2本、ありがたく頂いていく。本日2度めの「お接待」である。

 今日の宿は「旅館吉野」、ここに泊まって翌日に焼山寺道というのが、多くのお遍路さんの定番のようになっているという。ネット上でこの旅館の情報はいくらでも見られる。夕食のメインは「とんかつ」と決まっているらしい。好きだからいいけど。他にカツオのたたきなど、量的にも満足。

 上はネットで見つけた写真だが、これとほぼ同じだった。

 

 

 

 

 

5.10番へ

 朝食後、8時ころに出発。同じ方向に歩く男性と女性がいたが、すぐに置いていかれた。

 歩いている途中で見かけた「板野十六地蔵」の札所。きちんと手入れされている様子である。こういった札所巡りは全国にどれくらいあるのだろう?

 第8番の熊谷寺までは順調に歩いた。途中、土成の遍路小屋で小休止。三木武夫の屋敷跡だという。

 熊谷寺の大きな山門。ここから少し登ると納経所があった。ここに妻が休んでいる間に、私一人で参拝に行く。たかが4kg程度だが、リュックがないと随分楽になる。

 立派な多宝塔である。ここから第9番の法輪寺までは割に近いが、新しい広い道路ができていたりして、遍路道の雰囲気は少々壊れる。

 12時少し前に法輪寺到着。境内に入ると、一人のお坊さんが妻に向かっていきなり姿勢の指導を始めた。「普段は外ではやらないのだが、あんたたちは高齢で歩いているから」「猫背になると内臓を圧迫して良くない」「正しい姿勢を体に覚え込ませなさい」などなど。私にも姿勢を良くする体操を一つ教えてくれた。これも「お接待」の一つと考えてよいのだろうか?

 10番切幡寺までが長かった。実際は4kmにも足りない距離なのだが、右足に力が入らなくなってスピードが出ない。疲れてきたので「車に乗っていくか?」という声を期待したりしたが、そんなお接待はなかった。もっとも歩いている人に車をすすめるのは余計なお節介かも知れないから無理もない。それよりもここまで噂に聞いた「お接待」には一度もあずかっていない。まあ、期待するほうが間違ってはいるのだが。

 やっとたどり着いた切幡寺への道にお遍路用品の店「浅野総本店スモトリ屋」があった。最初から予定していたのだが、ここで白衣と笠を買うことにした。長袖シャツを脱いでTシャツだけになって、袖付きの白衣を上に着る。これは涼しくてなかなかいい。笠は多くの人が上が尖ったものを被っているが、私は弘法大師が被っているような丸いものにした。何となくこのほうが気に入ったのである。紐のかけ方に工夫が必要だと思ったが、この旅が終わったら研究しよう。

 例によって、スモトリ屋に妻を待たせて、私一人で切幡寺へ。

 ここから始まる333段の階段が結構きつい。

 登りよりも下りの方が足にこたえる。スモトリ屋に戻って、お茶を一杯頂いて、今日の宿「旅館八幡」へ。

 途中にあるお遍路人形。「美人」だが、少々気味が悪い。

 14:30頃旅館八幡に到着。ここにはレストランとビジネスホテルもあるが、ホテルの方は満室だった。旅館の方はかなり空いているようだった。まずレストラン「うどん八幡」で軽めの昼食を取る。天ぷらうどんの海老天がなんだか美味しくない。カニカマのような海老蒲鉾かもしれないと思った。

 部屋に入って、風呂は5時から。男性の風呂はなんだか湯が少なく、女性の風呂はあふれるほどの湯で、熱くて入れなかったという。従業員はほとんどレストランで仕事をしていて、旅館の方は随分おざなりにされている感じである。

 夕食も「うどん八幡」で。昼が遅かったので、ご飯やうどんはとらずに、ビールと刺身・焼き鳥・枝豆・酢の物などですませた。今日も疲れた〜〜。