同行三人

後期高齢者のお遍路です

21. 太龍寺

いやし亭 心空(こくう)の夕食

 遍路地図などには太龍寺ロープウェーの近くに「道の宿そわか」があるが、ネット情報で「閉店」となっていた。調べてみると、新しく「いやし亭 心空」というのができていた。実際には「そわか」をリニューアルして再開したようである。古くなった建物や設備を整備するのが大変だったという。中年の話好きな管理人さんがほとんど一人で切り回しているようだった。午後3時に到着した時はまだお風呂の準備ができていなくて2時間ほど待たされた。そのお風呂は広い立派な岩風呂で、数人の客しかいないのにお湯が大量に流れ落ちていた。

 夕食は、外部の料理人が作っているとかで、刺身・阿波尾鶏の陶板焼きなど、とても美味しかった。

ロープウエーからの眺め 駐車場の手前が道の駅「鷲の里」向こう側が「心空」

 12月2日、今回の最終日である。朝食後すぐ近くのロープウエー乗り場へ。8:00発の始発にギリギリで間に合った。眺めを楽しみながら数分で太龍寺へ。

ロープウエーを降りると目の前に階段

 ロープウエーを降りるとまず長い階段がある。横には坂道もある。これを登っていくと立派な本堂や多宝塔があり、少し降って本坊へ。

太龍寺本堂

太龍寺多宝塔

 本坊には竜天井があって外から拝観できる。

太龍寺本坊の竜天井

 本坊横からゆっくりと坂を下っていくとロープウエー乗り場に戻る。

 ロープウエーから岩山の上に5匹の狼の石像が見える。これは「山犬ヶ嶽の日本オオカミ」の像である。平安時代にはこの辺りに多くの狼がいて、弘法大師も修行中にその遠吠えを聞いたとか。

山犬ヶ嶽の日本オオカミの像

 このほか山の上に大師像も見えたが写真に撮ることはできなかった。

 ロープウエーを降りると1kmほどを歩いて「和食東」のバス停へ。ここから阿南医療センターまで行って徳島駅行きのバスに乗り換えられると宿で聞いた。乗り換え時間が4分だというのにバスは3分遅れてきた。乗り換えが不安になったので途中のJR阿南駅前で下車、鉄道で徳島駅へ。あとは着た時の逆ルートで帰宅。

バス停前のコスモス畑と太龍寺の山、ロープウエーの巨大な支柱が見える

 短かったが、今回の四国遍路はこれで終わりである。できれば来年の春に続きを歩きたいと思う。80歳を超えたので無理はできない。タクシーなどを使うのはやむを得ない。

生名から20番鶴林寺

 宿を出る前に昼食を調達するために近くのコンビニへ。おにぎりやサンドイッチを買ってきた。宿を出たのは8時過ぎ。飲み物をどうするか考える。缶コーヒーの間に入れた飲み物を持っているが、これでだけでは心もとない。近くに自販機はあるが、お茶を持つと重い。地元の人に、水呑大師の水は飲用可能かどうか尋ねてみた。「地元の人は飲む。ご利益がある。だが他所の人は飲まないほうがいい、最近は動物も多いから・・・」という返事だった。というわけで、その水をあてにしてお茶は買わないで行くことにした。

 

鶴林寺への道の入り口の看板

 上り口からいきなり急なコンクリート道を登る。これが延々と続く。狭い道路だが車も通るようだ。とりわけ急な道に落ち葉が積もっていて「落ち葉の上を車が滑ってくるかもしれない」という注意看板もあった。どんどん登って、生名の街を見下ろすところへ。泊った金古やも見える。遥か下を2人づれが歩いている。時期に追いついてくるだろう・・・。

 

鶴林寺への道、生名の」街を見下ろす

 どんどん登って行ったが、先ほど遥か下にいた二人連れが追いついてきた。外人である。「こんにちは〜」と言いながらアメを1個渡してくれた。Dankon! 思わずエスペラントでお礼を言ってしまった。さらに登っていくと意外に早く水呑大師に着いた。流れ出ている水を飲んでみた。普通に美味しい。

 

水呑大師の湧き水 飲んでも特に問題はなかった

 昨日のヨタヨタ歩きで山登りができるのか? と妻が心配していたが、山登りは得意なのだ。妻は心臓が苦しいとか言いながらずいぶんスローペースで登る。時々私が待っていなければならない。

 

鶴林寺へ数百メートル、絶景ポイント

 あと5〜600メートルくらいで各臨時というところで絶景ポイントがあった。蛇行する那賀川を見下ろし、さらには太龍寺の山が見える。あそこまで降りて、またあそこまで登るんだ〜!

 

古い石畳の道 鶴林寺はもう近い

 

 2時間程度と思っていたが、鶴林寺には3時間近くかかってしまった。

 

鶴林寺、見事な大木の列と紅葉

 綺麗に色づいた紅葉を楽しんで、下りにかかる。かなり急な道だが、階段上に整備されていて歩きやすい。膝の悪い私は下りが苦手だが、順調に降りていく。

 

車道に出てまた山道に入る。太龍寺へ5.1km

同じ場所だが太龍寺までは5.4km、5.2kmとマチマチ

 もうずいぶん降りたんだけどなぁ、と思った頃に「鶴林寺へ0.9km、大井休憩所へ0.8kmの看板があった。半分は降りたぞという安堵感とまだ900mしか来ていないのかというガッカリ感。さらに少し降りて車道に出るがすぐにまた山道へ。ここにある太龍寺への距離表示がマチマチで笑える。

 この辺りから妻が「足に力が入らない」と言い出して急に歩くのが遅くなった。普段鍛えていないのがここで現れたのであろう。

 大井休憩所に着いたのは2時半くらい。この時間から太龍寺に登るとロープウエーの最終便に間に合わなくなる可能性があるのでここでタクシーを呼ぶことにした。

 

大井休憩所8Googleストリートビューより)

 休憩所にはタクシー会社の電話番号が4つあった。その1番目にかけたら「タクシー会社ではないです、ここはロープウえーエーです」2番目は「うちから行くと40分は待ってもらわねばならない、近くの会社を教えますよ」という。それが最初にかけたところで、正しい番号を教えてもらった。そこにかけてもつながらない。やっと繋がったと思ったら「今遠くに来ているので行けない」という。3番目、4番目も「今車がいない」とかなんとかでダメ。結局2番目にかけ直して40分待つことにする。

 休憩所から200mほど歩いたところに自販機があって、お茶を購入。

 タクシーは思ったより早く来てくれた。今日の宿「心空」へ。。思ったより近くてタクシー代は3,000円ほど。

四国遍路第3回 立江寺から生名

立江寺宿坊の夕食

 前回の歩きから1年半が経ってしまった。この間に私は膝の再生医療を受けた。自分の血液から有効成分を抽出して膝に注射するものである。自分の血を使うので安全性が高いが保険がきかないので高額になる。効果の程はよく分からない。他に脊椎狭窄症とも言われていて、杖を2本持たないと長い距離は歩けない。妻も股関節に人工関節を入れた。この調子で果たして歩けるのか? 不安な出発であった。

 さて、初日は鉄道・新幹線・高速バスを乗り継いで徳島駅へ。ここからさらに牟岐線で立江まで。前回の最終地点立江寺の宿坊に泊まった。もう歩く季節には遅すぎるのか宿泊客は我々を含めて5人、そのうちの一人は50歳くらいから遍路を始めて26回目だとか。我々は生きているうちに一周するのも怪しい。

 6時半過ぎくらいに宿坊に着いたので、昨夜のお勤めに間に合った。本堂でお坊さんがお経をあげて、我々も焼香をして、最後に本尊を間近で拝観する。あっという間に終了。本堂の天井には綺麗な絵が描かれていて、一見に値する。

 夕食は豪華とは言えないが、揚げたての天ぷらが美味しかった。

 

ヨタヨタ歩く二人連れ

 立江寺を8時過ぎくらいに出発、ゆっくりだがバスも通る舗装道路をまあなんとか歩く。

 

櫛淵八幡神社の巨木

 2kmほど歩いたところで巨木が見えてきた。櫛淵八幡神社の樹齢700年と言われるクスの大木である。この神社にはもう一本の大木がある。県指定天然記念物のフウの大木である。台湾・中国に自生していて、日本ではなかなか珍しい木のようだ。

 さらにしばらく歩いて車の通りの激しい道路に出る。途中歩道がなくて路側帯も狭い歩くには危険なところもあった。沼江大師手前で短い迂回路があって、まもなく「お遍路さん休憩所」に着いた。

 

お遍路さん休憩所

 ここで小休止して、少し歩くと勝浦川沿いのT字路に突き当たり、その左にローソンがある。立江寺からここまで約2時間。立江寺から生名までの中間点は過ぎているから自分としてはまずまずのペースである。ここのイートインでサンドイッチや唐揚げ、コーヒーなどで軽い昼食にする。

 この辺りから歩くのがしんどくなってきて、腰掛けられる場所があるとすぐに座り込んで小休止、というのを何度も繰り返しながら歩く。「あおき」という食堂に入ってまたまた大休憩。阿波晩茶という珍しいお茶をいただく。弘法大師が伝えたという乳酸発酵茶で爽やかな酸味がある。みかんジュースも美味しかった。

 

阿波晩茶を淹れる

 ここから1kmたらずでお菓子屋を見つけて草餅を2個買った。少なくともこの日のうちに食べるべきだったが、餅は本物の餅だったので翌日には硬くなっていて、電子レンジで柔らかくして食べることになった。

草餅を買ったお菓子屋さん

 さらに少し歩いて道の駅方面と生名の街に行く道との分かれ道があって、街の方に進む。500mほど歩くと今日の宿「金子や」に到着。15:00。少し早かったが部屋に入ることができた。

民宿「金子や」(Googleストリートビューより)

 宿泊者は我々だけだった。ゆったりとお風呂に入って疲れを癒した。病気だというご主人が一人でやっているのだが、夕食はまずまず美味しかった。

金子やの夕食、ネットで見た4年前の写真とほぼ同じ夕食

 数種類の揚げ物と刺身、かわいい三色の団子など、いつも同じ料理らしい。特に贅沢を求めなければ満足できる。

 

 

地蔵橋駅から立江寺

朝の地蔵橋駅前。通学の高校生や見守る地域の方々の目が優しい。

 3日目。まずJRで地蔵橋駅へ。すこし歩くと大きな通りに出る。その角にコンビニがあり、朝食のために入ったが、イートインのコーナーがない。旅行クーポンも使えなかったが、おにぎりやサンドイッチを買った。

 1kmほど歩いたところで、地図を読み間違えて道を間違えてしまった。気づいたところで、ちょっとした日陰を見つけたので座り込んで朝食にする。

 下の道に戻って、川のない橋を渡る。歩道部分が青く塗られていて、これが地図にある「青い橋」らしい。広い大通りに出て、大きな川を渡り、そのまま大通り沿いの歩道を歩く。こういう道は疲れる。かなり疲れたところでコンビニがあったのでコーヒーを買ってそのイートインコーナーに座り込む。コンビニのイートインコーナーはこの旅で2、3度使わせていただいたが、涼しくて小休止にはもってこいの場所である。

 ここからすぐに左に折れるのが遍路道で、すこし歩くと「弘法大師 御杖の水」がある。地図には卍マークが記してあるが、寺はない。「水」も湧き出しているわけでも流れているわけでもなさそうで、小さな水槽の水は柄杓が置いてはあったが、飲めるようなものではなかった。gあ

 

 弘法大師 御杖の水

 
 ここからすこし歩いて、二家美大通りに出るが、これを渡ると狭い遍路道に出る。「義経ドリームロード」とあり、この辺りには義経に関する史跡が多い。舗装道路で集落を抜けていくと大きな岩壁が現れ、「千羽ヶ嶽のお豊とお君の墓」とある。ネットで調べたが「この墓の謂れは不明」とあった。

千羽ヶ嶽のお豊とお君の墓 この右側に石のお墓がある


 このすぐ左には「源義経上陸の地」という碑がある。

 

源義経上陸の地

 川を遡ってきた義経一向がこの辺りで上陸したということらしい。

 

 すぐに18番恩山寺の参道入り口に到着。車道をすこし登って民宿「ちば」の前から山道に入る。通りがかりの人に尋ねると「その道で仁王門の前に出る。道がすこし柔らかいのとマムシに注意してください」という。

 水が出てジクジクした草道をいく。幸いマムシには出会わずに仁王門に着いた。

 

恩山寺 仁王門、仁王さんはいなくて入り口側に大きなワラジが下げてあった。

 車道には出ずに、そのまま山道を登る。

仁王門からの遍路道

 やっと恩山寺に到着、11時半くらい。ここまで4時間かかった。ここで大休止。バスで回っている団体のガイドさんの声が耳に入る。ここは弘法大師の母親にまつわる寺で、四国では珍しい釈迦の十大弟子の像がある。

恩山寺の大銀杏と十大弟子のお堂

釈迦の十大弟子

 十分に休憩をとって、次の20番立江寺まではあと4kmである。車道をすこし降って、牛舎の横から山道に入る。竹藪の中で、足元にもタケノコがたくさん顔を出している。この辺りは弦巻坂といわれる。しばらく歩くと弦張坂もある。義経が坂の上に敵がいることを警戒して弓を張らせて進み、敵がいなかったので弓を巻いたという。

 

弦張坂

  弘法大師おむつき堂は、大師がおむつを収めたところだという。

弘法大師おむつき堂

 道は間も無く車道になり、立江川の見えるところまで緩い下り坂が続く。こういう道が足の膝に最も良くない。やっと立江寺に着いたのは午後2時を回っていた。この4kmに2時間もかけてしまった。

立江寺弘法大師像と多宝塔

庭に咲くボタンの花

 このお寺は、庭に咲くボタンの花が見事だった。
 今日はここまでタクシーを使わずになんとか歩いてきたことに満足して、JR立江駅へ。徳島に戻って、再びセルフうどんの店で遅い昼食兼夕食にした。
 予定ではもう1日、立江寺から鶴林寺に向かう道を数キロ歩いてバスで戻るつもりだった。そうしておけば、次回の初日が楽になる、という思いだった。しかし義弟からちょっとした知らせが入り、呑気に歩いてはいられなくなってしまったので、急きょ帰ることになった。次は、この秋に再開したいと思う。年ごとに足腰が弱ってきているのでどうなるかはわからないのだが、生きているうちに88番まで行きたいと思っている。

地蔵院から地蔵橋駅

地蔵ごえの快適な山道

 朝は昨夜コンビニで買っておいたおにぎりやサンドイッチをホテルの部屋でとり、7:40発のバスで地蔵院回転場まで行く。少し歩いて地蔵院を通り過ぎるとすぐに山道に入る。緩くて快適な山道が続く。最後に少し急な登りを頑張ると車道に出る。狭くて車の多い道を少し歩くとまた山道に入る。今度はかなり急な下りである。枯れ葉が溜まっていて滑りそうで怖い。再び車道に出ると、もう山道はなくて舗装道路を下っていく。

 すこし行くと「ギャラリー花杏豆」という店があった。コーヒーを飲んでいこうかと思ったが定休日だった。さらに下って八万温泉を横目で見ながら小さな集落に入る。暑くて疲れてきた。

 「ねこやまねこ」という看板が見えた。何だろう? と思ったら「台湾カステラの店」とある。カステラには目のない妻がさっそく入り口の戸を開けると「営業は11時から」だと言われた。まだ1時間近くあるが、500円の焼きたてカステラを1個売っていただき、店の前の椅子でいただいた。

 

 

 元気になって再び歩き出す。園瀬川沿いに歩いて大きな橋の袂を通過、堤防下の道を歩く。このまま歩いて行って晒屋の潜水橋に出られるのか少し心配になったところに、可愛い犬を連れた綺麗なお嬢さんがやってきたので道を尋ねてみた。すると、スマホを操りながらわかりやすく丁寧に教えてくれた。その様子をすぐ近くで洗車をしていた男性が見ていたが、我々が歩き出すとすぐに2本の缶ジュースを差し出してくれた。今回の遍路で最初で最後の「お接待」である。こういうことがあると素直に嬉しい。少し言葉を交わして、また歩き出す。まもなく堤防道路を横切って潜水橋を渡る。前後の草むらには「マムシに注意」という写真付きの看板がいくつも立っている。

 

真新しい感じの晒屋潜水橋

 橋を渡ると広い工事中の道路に出た。これを歩道橋で渡り、テキトーに歩くと車の多いバス通りに出る。右折して少し歩いてY字路を左に取る。踏切を越えて1kmほども歩くと地蔵橋駅が近いのだが、暑さと右足の疲れでヘトヘトになってきた。やっと地蔵橋駅についた時にはもう12時を回っていた。今日はここで打ち切り。列車で徳島に戻る。

 

JR牟岐線地蔵橋駅

 徳島駅前で「セルフうどん」の店へ。要領がわからなくて少し戸惑ったが、腰のある美味しいうどんといくつかの天ぷらで少し遅い昼食。実は「全国旅行支援」のクーポンが、2人×4泊×2,000円で合計16,000円あり、コンビニでの買い物や食事のほとんどを賄うことができた。部屋に戻って一休みして、夕方にビールを飲みに出る。近くの別のホテルのレストランに行ってみたが、一つは「旅行クーポンは使えません」もう一つは「予約で満席です」と断られ、近くの「ドン・ガバチョ」というレストランへ。肉料理を中心に美味しそうなメニューが並んでいたが、地元食材を使った「阿波プレート」なる一皿とビールを注文。料理はなかなか美味しかった。生ビール(中)は少し小さかった気がするが、飲めない私には十分である。

17番井戸寺から地蔵院へ

井戸寺へ600m

 前回の遍路から1年以上が過ぎてしまった。実は去年の秋に一度計画したのだが、妻の足の調子が悪くて断念したのだった。

 今回は1日の行程を短くして無理なく歩こうと決めた。荷物をできる限り軽くするために、徳島駅前のホテルに4泊して、交通機関を利用する。

 5月8日、新幹線と高速バスを利用して徳島駅前へ、ホテルにチェックインしてから夕食は近くの韓国料理店で。

 

 5月9日、徳島駅前の VIE DE FRANCE という喫茶店でパンとコーヒーの朝食。「列車は何時に出るの?」「7:20、次が8:11」「まだ2分あるじゃない、間に合うよ」「間に合わないよ」・・・慌ててお金を払って飛び出す。自販機で切符を買って、入場するといきなり2番線。あれ? 1番線はどこ? あっちだ、それ急げ、あ〜! 列車が出ていく! 「あなたがのんびりしているから!」と怒る妻。50分待って、8:11発の徳島線前回最後の観音寺に近い「府中(こう)」駅へ。ここから井戸寺に向かう。1.3kmくらいだろうか、17番井戸寺に無事到着。

 

井戸寺 仁王門

 仁王門から入ると、境内には弘法大師が一夜で掘ったという「面影の井戸」がある。

 

面影の井戸のある日限大師堂

 

面影の井戸

 井戸を覗き込んだら、はるか下の水面に私の影が映った。これで無病息災が叶うという。境内にはスズメ大師という比較的新しい像があり、そのためかスズメが多い。

 井戸寺を出て東に向かう。しばらく行くと交差点にこのあたりの案内板が立っていて、その周囲にいい香りの花が植えられていた。

 

井戸寺周辺の案内図と花

 どんどん歩いていくと大きな橋を渡る。中鮎喰橋である。渡ってすぐ右に曲がる。川沿いの道を歩く。車の多い道だが、歩道が整備されている。しばらく歩いて鉄道を渡り、上鮎喰橋のたもとで広い道を渡る。ここで左折するべきところだったが、歩道があるのでまっすぐに行ってしまった。すぐに左に降りる道があったので降りていく。自転車を自転車を引いたお婆さんに道を尋ねたら、親切に教えてくれて、遍路道に戻ることができた。ここからは「地蔵越え」遍路道である。18番恩山寺まではまだまだ遠い。別のおばさんが「恩山寺までまだ8時間だよ」と声をかけてくれた。

 もちろん、今日は恩山寺まで行くのは無理なので、地蔵院回転場というバス停で今日は打ち切りとする。バスの時間まで1時間以上もあったので地蔵院池まで足を伸ばす。といっても数十メートルだが。

 

地蔵院池、向こうに地蔵院が見える。

 この湖畔にベンチと机があって、その周りにダンベルやメガネが置いてあった。さらに机の下には大きな双眼鏡がぶら下げてあった。すぐ横に車が止まっていて、運転手が餌を投げていて、スズメがたくさん集まっていた。地元の人たちに愛されている場所なんだろうな。机の下に手頃な竹竿が転がっていて、妻が一眼で気に入ったのでいただいていくことにして、汚れを水で洗った。

 

ベンチのすぐ横にあった木彫の像

 バスで徳島駅前まで戻って、今日のお遍路は終わりである。今日の夕食は麺王という店で「徳島ラーメン」を食べてみた。コッテリと濃厚なラーメンだった。

16番観音寺まで

13番大日寺の向かいにある一宮神社の立派な石灯籠。近くには一宮城址の散策路もある。

 すだち庵というのは、何代にも渡って遍路宿として機能してきたが、先代の主人が亡くなって一時閉鎖されていたのを、今の主人がクラウドファンディングで資金を調達して改装・再開させたという。現在も拡張計画があるが、しっかりした公的な保証があっても銀行が貸し付けてくれないという。

 すだち庵から13番の大日寺へは山越えのルートで16kmほどある。そして、翌日の宿には大日寺の近くの名西旅館花というところを予約してある。最初は全部歩くつもりだったが、これまでの私と妻の様子では無理かもしれない、玉ケ峠を超えて車道に出たら適当なところでタクシーを呼ぼうと考えた。

 ところが、すだち庵の主人が「ついでがあるから車で送ろう」といってくれた。他にもう一人送っていくという。喜んで申し出を受けることにした。

 さて翌朝、我々夫婦と、もう一人は昨日すごいスピードで我々を追い越していったAさんの3人が、主人の車で名西旅館花まで送っていただいた。我々は、旅館に荷物を預けて、この先を歩くことにした。適当なところで電話すれば、今度は名西旅館の主人が迎えに来てくれるという。

 Aさんはさっさと出発していったが、すぐに戻ってきた。何と13番大日寺にお参りするのを忘れていたという。大日寺は、宿のすぐ隣である。我々もまずそちらに行く。

 納経所の前に「お接待」のみかんがあったので、ありがたく頂いてきた。

 合掌している大きな手のひらの中に美しい観音様。4番札所も大日寺だった。他に28番も大日寺である。9:30頃、大日寺を出発。

 14番常楽寺までは約1時間かかった。疲れが溜まってゆっくりとしか歩けなかった。

 境内には自然の岩が露出している。ここで、大日寺で頂いてきたみかんを食べた。これがとても美味しかった。

 15番国分寺は近い。11:20到着。ここから16番観音寺もそんなに遠くはない。

 疲れに加えて、暑さがだんだん堪えてきた。途中で見事なレンゲ畑を見た。昔はどこにでも見られた光景だが、最近はなかなか見られない。

 いい加減バテ気味に16番観音寺に着いたのは12:30。今回はここで打ち切りにして、名西旅館で聞いてきた地元で評判のラーメン屋十三八へ。

 ええ〜! 並んでるう! 暑い中、順番が来るまで並んで待った。きっと美味しいに違いない! 鳥坂(とっさか)ラーメン(肉中)を注文したつもりだったが、(肉小)が来てしまったので、餃子とキムチチャーハンの小も注文。ラーメンに入れるにんにくも頼む。チャーシューたっぷりのラーメンは美味しかった。行列ができるだけのことはある。食べ終わって名西旅館に電話、すぐに迎えに来てくれた。

 名西旅館に「花」とついているのは、近くにもともと名西旅館があって、これは廃業してしまったが、別館「花」が営業を続けているということらしい。初老のご主人は、コロナでお遍路さんが減って経営は大変だと思うが、送り迎えも含めてほとんど一人で切り回している。あと10年は頑張るといっていた。

 夕食は天ぷらやホタテ入りの陶板鍋など、わりに美味しくて量も十分だった。夜飲みたいから近くに自販機はないかと聞いたら、以前はおいていたが、電気代が高いから撤去したという。代わりに冷たい水をポットに入れてくれた。夜のうちに全部飲んでしまった。

 翌日は近くのバス停から徳島駅に出て、高速バスで新神戸、新幹線で帰宅。次は、できればこの秋にでも続きを歩きに来たいと思う。

 バス停で、若い女性に会った。話してみると、焼山寺道で追い越していった一組男女の一人である。荷物が重くて難儀していたのを岡山の男性に助けてもらったと。焼山寺からはタクシーで神山町の宿まで、昨日はバスで来て名西旅館に泊まった。もう交通機関を使ってしまったから、これからは「歩き」にはこだわらず、徳島でレンタカーを借りるつもりだという。我々も、利用できるところは、これからもバスやタクシーを使おうと思う。

 以上、ダラダラと取り留めなく書いてきたが、「同行三人」第一シリーズの終わりとする。次は、できれば秋に、遅くとも来年の三月に。